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2015年 04月 07日
「じねんと」の原稿を書いたので掲載します。
4月は就職、入社シーズンだ。現在(いま)からちょうど40年前(1975年、昭和50年)の4月、高校を卒業した私は三菱重工横浜造船所に就職する。就職用として親に会津若松市の神明通りにあったデパートで初めて背広を買ってもらった。横浜の独身寮に持参したのはこの背広と布団一組だけ。 横浜の独身寮に着いた翌日、横浜駅前のデパートに一人で私服を買いに行く。入社後、新入社員教育で箱根へ合宿に行くため着ていく服が必要だったのだ。なぜ、このことをいまも覚えているかというと、買い物を済ませた帰り道、辺りは暗くなり道に迷ってしまったのである。寮から駅前までは歩いて行けたが、帰りは方角がわからなくなり途方に暮れた。交番で道順を教えてもらってようやくたどり着いた記憶がある。 入社後、配属になったのは総務部会計課資金係。係員は7名。係長は北島さん。私の指導員は河合さん。新入社員には1年間指導員がつく。そして課長が渡辺さん。課長の渡辺さんは宮城県石巻市出身。身長は160㌢くらい。髪は黒々していて整髪料でオールバックにキメテいる。黒縁のメガネ。顔は猿の惑星を想像するとわかりやすい。三つ揃いの背広で出社し、更衣室で上着だけ作業着に着替える。当時の年齢は50代半ばだったろうか。いまも存命ならば90歳をとっくに過ぎている。いつも元気な渡辺課長。ほかの課長はみな一流大学出なのに渡辺課長は高卒の叩き上げ。バイタリティの塊のようなひとだった。 なぜ渡辺課長のことをよく覚えているかというと、私はなぜか渡辺課長に可愛がられた。同じ東北出身ということもあるだろう。同じ高卒ということもあったのかもしれない。渡辺課長が購読している新聞は日本経済新聞。あるとき、広告欄に「よくわかる損益計算書」というのが出ていた。渡辺課長が大きな声で「佐藤くーん、ちょっと」と呼んでいる。「佐藤君ね、この広告の本を二冊、今度本屋で買って来てくれないか」とお金を渡される。 さっそく、買ってきた本を二冊、渡辺課長に届けると「佐藤君に一冊あげる。読むとためになるから。おつりは手数料。とっといて」。「よくわかる損益計算書」の本はその後読んだ記憶はない。ただ渡辺課長の気持ちがうれしかった。また、週末は渡辺課長が飲みに誘ってくれた。毎週金曜日はノー残業デー。夕方5時を回ったころ、渡辺課長が私の席に近づいてくる。私はその気配を背中で待っているのである。「佐藤君、今夜なんか用事ある?」と訊いてくる。用事なんかあるわけがない。「いえ、ありません」と応える。「じゃあ、僕と一緒に帰ろう」となる。 三菱重工横浜造船所はいまはない。再開発で「横浜みなとみらい」になった。当時は横浜駅東口からガード下を桜木町方面に歩いて通った。正門を入ると三階建ての本館が正面に見える。私が配属になった総務部会計課資金係は本館の一階。入って左奥にあった。本館の周辺には船舶を建造するドックや工場が軒を連ねていた。当時現場の作業員はどのくらい働いていたのだろうか。恐らく数千人規模だったと思う。 話を渡辺課長に戻す。渡辺課長と私は正門を出てガード下を歩き横浜駅東口へ向かう。当時の東口はまだ再開発前で古臭かった。渡辺課長馴染みの居酒屋に入る。そしていつものカウンター席へ。渡辺課長は私と来るのは金曜日だけだが、課長は毎晩一人で来ているらしかった。店のご主人との会話でそれがわかる。この居酒屋には職場の同僚の結婚披露宴の帰りに渡辺課長と立ち寄ったことがある。なぜ覚えているかというと私は持参したギターを弾きながら、恥ずかしげもなくふきのとうの「初夏」を歌ったのである。結婚披露宴で歌った歌は覚えていないのに。 「マスター、今日は部下の結婚披露宴の帰り。佐藤君はギターと歌が上手だから、ちょっと聴いてくれない」と渡辺課長。そう言われたら私も歌うしかあるまい。ほかに客はいなかったと思う。客がいたらそういう展開にはならないからだ。ギターケースからギターを取り出し、「それでは一曲。♪噴水の前で記念写真を撮っているのは新婚さんかな~♪」と三番まで歌い終わる。私の歌を聴いて、渡辺課長も店のご主人も何もわからなかったと思う。それでも渡辺課長は「佐藤君、ヨカッタよ」と上機嫌だった。 この居酒屋を出ると決まって駅の地下街を通って西口へ出る。運河(かわ)のそばに丸い形の小さい建物があった。そこは「ダリ」というバー。オランダ出身のママさんがいた。日本語もとても上手。バーのママは渡辺課長と同年代で渡辺課長も長年通ってきているらしかった。居酒屋の名前は覚えていないのに、このバーの名前は覚えている。おしゃれな雰囲気にオランダ人のママさん。「やっぱりヨコハマはいいじゃん」と思ってしまう。そして、夜も更けた頃、渡辺課長は横浜駅から電車で磯子のご自宅へ。私は三ツ沢公園近くの寮へ歩いて帰るのである。今度は道に迷うこともなく。最近、5年間しかいなかった横浜時代のことがよく夢に出てくる。
by ohashiakada
| 2015-04-07 15:57
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